hello baby!まさかの3人子持ちに。

社会に出た時から、派遣とカメラマンのパラレルキャリアで生きてる私の、育児と仕事についてのブログです。今は、下駄屋のネットショップ担当、音楽教室の先生、家族写真カメラマンとして3つの顔を持ってます。

岩手の中学生自殺に思うこと。

私がこれから歳を取って親になって

どんどん子どもの頃を忘れて行くと思うから

覚書としても、思うことを書いておく。

 

 

彼が先生に出したSOSは届かなかった。

結果、自殺という残念なことになってしまった。

 

こういうとき、「親は気づかなかったのか」と言うと思う。

私も思った。なぜ生活ノートを一度でも見なかったのかと。

彼のSOSは親に向かっても出ていたのでは無いかと。

 

 

しかし、自分の思春期を思い返せば

「私、いじめられてるの」とは絶対親に言えなかった。

私は親に言えなかった。

 

言われただけでも泣きそうだったのに、それを自分の口から

ましてや「私を大切だ」と言ってくれる親に言える訳がない。

 

「ウザイ」「シネ」「媚びてる」「優等生ぶってる」

「男好き」「生意気」「シカトしようぜ」などなど

 

 

私、学校でクラスメイトにこう言われてるの。

 

とても言えない。

親が悲しむと思って言えないし、この言葉を伝えるのはツライ。

 

38人しかいない小学校1年から6年まで持ち上がりだった小さな小学校から

同級生が340人もいる中学校に通うことになったら、うまくいかなかった。

 

男女間の微妙な機微が分からない。

女の子のグループ関係が分からない。

先輩後輩がわからない。

意味のないようなローカルルールが理解出来ない。

 

結果私は13歳で「浮いてる人」になった。

「あのこキモくない?なんかチガウよね」という理由だけで。

 

新しい環境に慣れない私を母は気遣ってくれた。

だから余計言えなかった。笑って「友達が出来たよ」としか言えなかった。

 

幸い私はお勉強も出来たし、先生受けも良かったので

卑屈にならずにそのまま通った。

シカトされるなら幸いと本を読んで過ごしたり、ほかのクラスの同級生と

何気ない会話と楽しんだりした。

 

 

短期間だったとは思うが、シカトされ暴言を吐かれ傷ついた自尊心を支えたのは

入学前に母が私に言った一言だった。

 

「もし虐められることや辛いことがあって、どうしようもないと思ったら言いなさい。

 ママは先生も校長先生も総理大臣も大統領だって怖くない。

 あんたを守るためなら、どこまででも戦うからね。」

 

 

この言葉が辛かった時期も私を支えた。

もうどうにもならなくなったら、最後にはママが助けてくれると思えたから。

 

この闘志と正義感はしっかり私にも根付いていて、親になったいま

息子のためにならオバマプーチンも怖くない。

学校の先生なんて、屁でもないって分かる。

 

 

私へのイジメは下火になり(やっても効果がないので向こうが厭きたのかな)

今度は私の小学校時代の友人が部活で虐められるハコビとなった。

それは壮絶で、友人は不登校になってしまったのだけれど

私の母は【幼稚園からずっと一緒で10年近く知ってる子どもを放っておけるか!】

という理由で、実際に学校に乗り込み、イジメを知っていて黙認した担任を引っ張りだした。

 

イジメの加害者だった子の親まで巻き込んでの大立ち回りをやったので

あの言葉は本当だったのだなぁ…と今でも感心することがある。

 

彼女はその後、なんとか少しずつ学校に通って

今では二児のママとなってハッピーに暮らしている。

 

 

あの当時の母は、今の私の年齢と大差ない(そのことの方が衝撃だが)のだが

あの言葉はずっと私の中で生きる支えになっている。

 

今は孫をあまやかす困ったバーバになったが、それでもあのとき私が頑張れたのは

ママの言葉があったからなのは事実だ。

 

今、不安定な子どもを持っているお母さんたちには

子どもに向かって「何が合っても味方だ。最終的には頼って来い」ということを

全力で伝えるべきだと思う。

 

子どもなりに必死にがんばっていることを認めてあげてほしい。

そして、それでもダメなら母ちゃんがなんとかしてやるとハッタリをかませ。

 

そしたらどんなに辛くても、自分で命を断つことはないと思う。

誰よりもお母さんが悲しむことを子どもはしたくないのだから。